更新日2003-1-28

安藤思想の原点と継承に想う

 

安藤先生の情熱溢れる西欧経済史の名講義は、社会科学の王道への誘いでした。更に、1960年度桃李の下<成蹊大学自治会編―学生生活の栞―>誌上で人生と学問についての安藤語録が目にとまった衝撃が、私の安藤ゼミナール選択を,決定的なものとしたのです。今を40年も遡る出来事がつい昨日のように思えるのです。私は,この栞の先生の表明をつぎのようにうけとめました。

  “人間の行為を究極において支えるもの、それは理論ではないとの自覚に立つ

   べきもので、強靭な主体性こそが支えを担う中核をなすのだ。

  “己の主体性の揺ぎ無い確立は、人間の営みの歴史を弛まず自己省察し続ける、

   姿勢の中にこそ芽生えるものだ。

私にとって、この魂にずっしりと迫る呼びかけ、これこそ“終生の学びへの誘い”であったのです。先生は,学究として、等身大のマックス・ウェーバーに、動機探求という独特の手法で終生対峙され,今日的なウェーバー像の確立に一つの金字塔をたてられ、後世へ大きな足跡を残されました。1964年春の日本経済学史学会では、司会役の出口勇蔵教授から参加者への「一体どういうお考へでウェーバーを研究しておられるのかうかがいたい」の問いかけに対して、先生は研究の動機・問題意識を、いわば自分史の中に誠実・詳細に位置付け、率直に報告されたのです。

これは、最初の大著「マックス・ウェーバー研究―エートス問題としての方法論研究―」<1965・未来社刊>の長いあとがきに、広く開示されて、それ自体が学会の貴重な遺産となったことを、小林昇立教大名誉教授も述べておられます。<1999.4未来391/追悼安藤英治・屹立する「戦中派」>

安藤先生が学問と人生を率直に語られた文章は、私の知る限り上記学生生活の栞・桃李の下の他に196465年の同誌掲載にも明快で印象深いものがあります。

「・・・・・一時流行したような“戦中派”論議のような単なる体験談に終わることなく、僕達の世代史を普遍化することが必要と思っています。・・・・・いずれにしても、近代日本のいわば恥部ともいうべき時期に密着していた世代の一人として、僕の場合は自分の母国のマイナス面を出来るかぎり鋭く自覚することを、自分に与えられた課題と感じました。

こういう態度が、必ずしも良いものとは思っていませんが、僕の場合には内面的な必然性がありました。マックス・ウェーバーに深く傾倒したのも、彼に導かれてヨーロッパの歴史に入り込んだのも、いわば一種の自己省察としてです。“近代の意味と限界”ということが、根本的な問題意識になったのも戦時の体験や戦後の革新運動に関する体験から生み出されたものでした。」<1964・桃李の下P45より>

このような、学生への自己表明(紹介)の視座は前述「あとがき」と並び一貫した同一線上にあるものと言えましょう。

長いあとがき中に

「いかなる外的条件にも左右されない誠実さは人間としての自己を内面的に深める努力以外からは生まれない。」(「マックス・ウェーバー研究」p460より)とあります。

これは、先生ご自身の巣鴨高商在学中・真珠湾攻撃直前の日記帳からの、JSミル自伝読後感であり、安藤思想の原点を示唆するものでしょう。

さてかく言う私は「情熱をもって誠実に生きよ!」という命題に「いかに応えてきたか!そしてこれからは?」私は、社会人になってからの某年某月,安藤先生を囲むゼミ同学の士との談話中「先生の教えは、時に夏にオーバーを着るような厳しさがあります。」と発言したことがありました。

甚だ身勝手なことを言ったものです。自分から望んで先生の門下生にして頂いた者が・・私にも組織の論理と自己の信条の板ばさみに遭遇した折々、安藤先生の眼差しが観え内なる声が聴こえてくるのです。“おい君そんなことでいいのかね!”と、“私のことはほっといてください。なるようにしかなりませんと振り払うわけにはどうしてもいかないのです。現実を冷静に客観的に直視せよ!付和雷同を戒めよ!功利に走るな!主体的に正道を歩め!等々・・を問いかけてこられるのです。安藤先生はいわば私にとってこんな存在であり今も変わることはないのです。学生時代先生に邂逅した原風景とあの速射砲のような安藤節による刷り込みは、時に脱ぎたくなることがあってもそう容易には脱げないオーバーなのです。

ところで、安藤先生は1998/12/17突然あの世へ旅立たれました。ウェーバーの「儒教と道教」改定の意味を探求する本格的取り組みを始められた矢先に・・合掌・・先生は,生前時折“あの世に逝ったらゼミ同窓生諸君ひとつ僕を煮て食おうが焼いて食おうが大いに肴にしてください。”と言っておられました。この言葉は“諸君くれぐれも安藤学説を絶対(神聖)視しないように!絶対(神聖)視は僕の最も嫌うところだからね”と言うようなことを仰っていたのだろうと私は想います。

今や我々は、先生の残された貴重なご研究の成果を導きとして、「ウェーバーを学んで現代を考える」ことを、誠意と熱意をもって一歩一歩励行しようではありませんか!−先生はこの「ウェーバーを学んで・・」の看板は真によろしいと言っておられました―そのことは,安藤先生の学恩に応えることであり、21世紀を人間として主体的に生きることにきっとつながると想うのです。

                 平成15年1月28日 政経13回 石川国男

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