杉原 哲彦 君のこと

この度皆様に悲しいご報告をしなければなりません。
安藤ゼミ39年卒の杉原 哲彦君( 東亜大学 経営学部 教授 )が永眠されました。
天野 律子さん(バドミントンの友人 昨年 全日本女子シニア 3位、また鶴来窯のよき支援者 )より、杉原君は今年6月9日に入院後2回も転院し、8月には病状が悪化の一途をたどり寝たきりで食事も摂れず言葉もなく、人の判別さえ殆んど出来ない状態になったと聞いておりました。 病名はプリオン病( アルツハイマーの一種 )で脳だけでなく神経も侵されるので、症状の進行が急速であったそうです。 下関の厚生病院で闘病中" 散る木の葉がやがて来る冬を経て、春に芽吹く新しい命の糧になるように、夫哲彦は永の眠りにつきました。"との奥様のご挨拶の様に、杉原君は10月28日我々を残して旅立ってしまったのです。 翌10月29日「 お別れの会 」が行われるとの連絡があり、 新幹線新下関駅にて下車、杉原君の勤務先であった丘の上に建つ東亜大学校舎を通り過ぎ会場である下関典礼会館に向いお別れをして参りました。 如何に慕われた先生であったかは、会場から溢れるばかりの500名以上の参列者や「お別れの会」でお別れの言葉を述べた学生諸君の杉原先生との数々の思い出話から思い知らされました。
杉原君は「雑簒」に述べている通り、富山の田舎での小学生時代より帰宅すればすぐ農作業、家事手伝いが待っており、学校教育にはない体験実習を通じ実に見事な実学を身につけたに違いありません。 「僕は何でも出来る、出来ないのは子供を生めないことぐらい」と冗談(半分自慢?)を言っていたのを今では微笑ましく思い出します。 バドミントンのラケットを握れば現役学生と互角に闘い、ビールを水替わりとし料理は達人、ワインまで自家製、クラシック音楽、バレエに造詣が深く、陶器作りではプロの域に達するスーパーマンでした。その様な杉原君を現役学生諸君がいかほど敬愛したかは想像にかたくありません。 また杉原君を師としたゼミの教え子達、バドミントンO.B.諸君、鶴来窯を継承した前田 幸一さんとよき後継者が育ったのも当然のことなのでしょう。
振り返れば、卒業後30年近く全く音信不通後安藤ゼミの集まりに上京して来るようになったのも10年程前、自分が自分の過去に自信が出来た故だったに違いありません。 安藤ゼミの伝統に従い、出世や権力といった世俗的な欲望を捨てる一方で旺盛な好奇心を持ち続け、世の中に役立とうとした生き方はまさに"立派"といっても過言ではないでしょう。 還暦を過ぎ枯れない60代として、もう少し活躍して欲しかったと願うのは私ばかりではないでしょう。 夢は永遠であり、夢を抱いて生きている姿こそが人に共感や勇気を与える、その様な姿を見せ続けた杉原君、本当にありがとう。ご苦労様でした。                                               

合掌   

                                                  安藤ゼミ 38年卒
                                                        黒田 進

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