於桜祭り 2005-4-3
政経1年次
 後藤圭三
イスラム世界における女性問題

 最近カルメン・ビンラディン著「遅すぎないうちに」(注1)を読んで、深刻な感銘を受けたので、報告します。
本書の原題は「サウジアラビア王国の内幕」とされていて日本版の書名は、訳者の大谷真弓さんが本書の内容にちなんで御創作になったものと思われます。
著者のカルメンさんは、スイス人の父とイラン人の母から生まれたスイス人で、ジュネーブで知り合ったサウジアラビアの豪商の青年と結婚し、ジェッダに住んで三人の娘さんを生んだのです。サウジアラビアでの驚くべき女性差別の生活を経験して、娘さんたちのためにも、到底結婚生活を続けられないと思い、スイスに帰って離婚手続きに入った、ということです。彼女は幸いにもスイス国籍を保有しておられたので、サウジアラビアに強制的に連行されずにすんでいるのですが、そうでなければおそらく離婚訴訟の自由も得られなかったのではないかと思われます。
カルメンさんは、離婚に関して周囲の理解を当初は殆んど得られずにおられたようですが、それが、あの2001年9月11日のテロ事件以降、状況が変わったと云っておられます。そう、カルメンさんは、テロの主要関係者の一人、あのオサマ・ビンラディン
縁戚者に他ならぬとわかったからだ、というのです。本書の中でも、イスラム教ワッハーブ派(サウジアラビアの主要宗派)の忠実な信徒であるオサマ・ビンラディンの行動の紹介が、詳細になされています。そしてカルメンさんは、1974年から1988年にかけての彼女のサウジアラビアでの結婚生活を記録しておられています。そこには、我々日本人が読んで、ただおどろくばかりの女性差別の実態が描かれています。そして、女性たち自身が、宗教上の忠実な実践者として、その差別を柔順に(というより、むしろ積極的に)守っておられる姿が報告されています。勿論、我が日本でも、女性差別は行なわれています。抜本的に改めるのは仲々困難でしょう。例えば、大相撲の土俵に女性がのってはいけないなどという問題は、ローマ法王(注2)が、女性の枢機卿を認めないということなどと共に、宗教上の理念もからんで、仲々解決しないようです。しかし、このサウジアラビアでの差別は、あまりに深刻のように思えます。その上、1979年のイラン革命のあと、勢いづいた原理主義者達によって、ますますおかしな方向に向っているように思えます。(注3)本書の訳者 大谷真弓さんが、あえて「遅すぎないうちに」という書名をお付けになった真意は、女性として、サウジアラビアの現状への強い危機感をお持ちになったからなのでしょう。サウジアラビアは、支配者である王室の意向としてアメリカと強い同盟関係にあり、したがって豊富な石油資源も支障なく西欧社会へ供給されていることは、よく知られている通りです。だが、このような強烈な男女差別、しかもそれが宗教的信念に裏打ちされた強硬なものとされているのでは、我々は一抹の危惧を拭い去れないのではないでしょうか。そう、場合によっては、あの「文明の衝突」の危険が待ち構えているのでは?そんな危機感すら--勿論、単なる考え違いにすぎないかも知れませんが--気持の片隅に芽生えているほどです。
以上簡単ではありますが本書の読後感を申しのべました
(注1)
「遅すぎないうちに」 カルメン・ビンラディン著 大谷真弓訳、青山出版社 2004年9月発行。
---原題 Inside The Opaque Kingdom/My Life In Saudi Arabia, by Carmen Bin Ladin ©2003
尚、本書の簡明な紹介記事を、週刊朝日(2004-10-15)「本のひとやすみ」欄に斉藤美奈子さんが書いておられます。
(注2)
この場合、故ヨハネ・パウロ2世を指します。
(注3)
アメリカ国務省の人権改善への年次報告書によれば、サウジアラビアの人権状況には問題があるとしたが、国内の治安状態が悪いため、アメリカ大使館の活動が一部制約を受けていると指摘」。(日本経済新聞2005年3月29日付)
(補語)
カイロ発共同通信によれば、クエートで、10月にも実施される地方評議会選挙の際、女性に選挙権、被選挙権を与える法案が国民議会で可決されたとのこと。成立にはまだ手続きが残っているとのことだが、大きな前進 には違いない。クエートは1991年の湾岸戦争以来アメリカの影響が強くなった国柄ではあるが、なんらかの変化の兆しの一つなのかも知れない。(日本経済新聞2005年4月20日付)

以上
inserted by FC2 system