於桜祭り2005-4-3
経済8年次 桑田泰

暦について

暦は大別すると3種に分類される

太陽暦 太陽の運行を基本として作られた暦ちなみに、現在世界中で最もスタンダードとされているグレゴリオ暦も太陽暦に属する。
太陰暦 月の運行を基本にした暦で主にイスラム圏で使われている。このイスラム暦では、西暦622年にマホメットが宗教的迫害を避けメッカからメジナに聖遷した年をヘジラ紀元年としている。月は29、53日で地球を1週するのでイスラム暦 では1年が354.367日。30年を周期として30日が6ヶ月と29日が6ヶ月の合計354日が1年の平年が19回、355日の閏年が11回ある。
太陽太陰暦 太陰暦を基本とし、太陽暦を加えた暦。日本の旧暦、中国の農暦、ユダヤ暦等。ユダヤ暦では紀元年はBC3761年でユダヤ教での天地創造の年。日本では戦前、BC660年に神武天皇が大和橿原宮で即位した年を紀元年とした皇紀が併用されており、1940年(昭和15年)には皇紀2600年が盛大に祝された。もちろん近代の歴史学では否定的見解が圧倒的。
*太陽暦の変遷 太陽暦の起源をたどると、古代エジプトやインカ文明までさかのぼる。古代エジプトの暦は1ヶ月を30日とし、12ヶ月に閏日5日を加え1年を365日とした正確なもの。インカの暦は1ヶ月を20日とし、18ヶ月にやはり閏日を5日加えたこれも正確なもの。この他古代オリエントにもあったとされるが、現代のいわゆる太陽暦につながる暦の祖と考えられているのは古代ローマの暦とされている。
ロムルス暦 BC753年にローマ建国の祖とされているロムルスの作った暦1年が10ヶ月で304日しかない。1月から10月で11,12月は寒さが厳しいので活動出来ず、その60日は月名もない。
ヌマ暦 ロムルスのあとを継いだ皇帝ヌマ・ポンピリウスがヌマ暦を改定したもの。10月のあとに11,12月を正式に加え1年を355日とした。ただしそれだけだと太陽の運行と1年で10日前後のずれが生じ、実際の気候とあわなくなったので、2年ごとに22日の閏月を入れ調整した。(上記2種の暦は1ヶ月を30日前後とした太陰太陽暦)
ユリウス暦 ユリウスシーザーがBC46年に作った暦。初めて1年を365日と定め4年に1度閏日をいれ地球が太陽の周りを1週する約365.25日と合致させた。閏日はヌマ暦で1ケ月が最も少ない2月(28日)にいれた。
グレゴリオ暦 1582年にローマ法王グレゴリオ13世がその年の10月4日の翌日を10日飛ばして10月15日に改暦したもの。現在まさに世界標準と言える暦。太陽周期が実際は365.2425日の為シーザーがユリウス暦を制定してから1600年の間に10日の誤差が出てしまい、これを是正した。又西暦年が4で割り切れる年を閏年とする点はユリウス暦と同様だが100で割り切れても400で割り切れない年は特に平年とする。従ってグレゴリオ暦では1600年2000年は閏年だが1700年1800年1900年は閏年ではない。つまりユリウス暦では400年間に100回あった閏年を97回に変更しより太陽周期に合わせた。この暦は時のローマ法王が制定した暦の為、カトリック教国ではすぐ採用されたがプロテスタント教国やロシア正教国では採用が遅れた。その為ソビエト革命時にロシアではユリウス暦が一般的だった為革命蜂起時が11月に入っていたので11月革命といわれるが他国ではグレゴリオ暦で10月中なので10月革命といわれている。ちなみに日本では1872年(明治5年)12月2日の翌日を明治6年1月1日としてユリウス暦を採用したが、世界の趨勢がグレゴリオ暦にあるとして1900年(明治33年)にグレゴリオ暦に改めた。ちなみに閏年はアメリカ大統領選挙の年であり夏季オリンピックの開催年でもある。
*日本の旧暦 日本の旧暦は太陰太陽暦の一種で上記の改暦の年まで1200年以上使用されていた。基本は中国で4000年以上今も国内で使用されている農暦。やはり月の運行を基本にしており、平年は30日の6ヶ月と29日の6ヶ月の合計で1年が354日。ただし太陽の運行と合わせる為、19年間に7回閏月をいれ1年が13ヶ月になる。閏月が何月になるかは年によりちがう。平均すると現代暦と40日前後月日がずれており、今でも特に地方で旧正月とか旧盆:の習慣がある。又旧暦の時期に合わせた季節用語や習慣を現代暦の月日に合わせている為あわない事が多い。
旧暦では1〜3月は春4〜6月が夏7〜9月が秋10〜12月が冬となっていた。ただし現在より40日程遅いので例えば、元旦は現在の2月中旬頃なので年賀状に新春とか迎春と書いても気候とあっているが、現在では冬の最中になるのでいささか無理がある。古来6月を水無月というが、梅雨の真っ最中が何故水が無い月なのか。これも旧暦の6月とは今の7月中旬の夏の時期なので旧暦なら合致した言い方と言える。
大阪冬の陣は1614年10月1日に始まった。現代の季節感だと10月なのに冬の陣とはおかしいと感じるが旧暦だと10月は冬。同様に1615年4月6日から始まった夏の陣も同様。それぞれ実際の時期は40日程あと。1600年天下分け目の関が原の戦いも9月15日でその割に雨模様で寒い1日と記録があるそうだが、現代暦で換算すると10月21日なので雨が降れば寒いのも当然。元禄15年(1702年)12月14日といえばお馴染み赤穂浪士の吉良邸討ち入りの日で方々で義士祭を行っているが、残念ながら実際には現代暦に換算すると年もちがい1703年1月30日。しんしんと雪が降っていたのをテレビ局などが、昔は今より寒かった等とコメントしでいるが、1月末なら雪が降っても不思議ではない。
このようにマスメディア全般は日本の過去の出来事のあった日を、旧暦の月日をそのまま今の暦の月日にあわせているが、せめて今の暦では何月何日と注釈位つけて欲しい。
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