政経3年次 森谷仁朗
北 京 に 旅 し て 思 う
      2007-06-05
医師に注意されながらも、敢えて3泊4日(5/18〜5/21)の旅に出掛けた動機は、同窓会長石川氏から安藤先生の珠玉とも言うべき論考“「M・ウェーバーと『儒教と道教』”を手にしたためだった。その趣意を現地で確証出来れば、日中の比較文化の実体験にもなろうと考えた。
<第1日目>は、西太后の離宮の贅を尽くした「頤和園」の見学。
<第2日目>は、世界最大の「天安門広場」と人類最大の建造物「万里の長城」に上がった後、「明13陵」を訪れる。
<第3日目>は、終日、皇帝達の宮殿である「故宮」の見学で、広大な敷地に建つ建築群を巡回。その後一転して輪タクで民家を訪問。
<第4日目>は、歴代の皇帝が五穀豊穣を祈った「天壇」を見学。
これら世界遺産が北京市及び近郊にあるので、広大な土地と歴史の重みに心底、目を見張った。しかし、肝腎の先生の論考の趣意確証を見学中求め続けたものの、ネックとなったのは、遺産の背後にある中国独自の歴史についての知識不足だった。恥ずかしながら、それを承知の上思いついたままを述べて見たい。
@「広大な土地ゆえそれにつれてカルチャーも広大となる。天安門広場や万里の長城がそのシンボルで、対する日本は規模からすると箱庭・盆栽文化と言えよう。風土論や地政学の必要を実感。
A「カルチャー大国」儒教・道教・中国流仏教・漢字・陶器・シルク等日本は輸入専門国で、中国は大先輩であった事実を随所で思い知らされた。
B「易姓革命」儒教政治思想の根本である、易姓革命による下克上支配の凄まじさに驚愕。安藤先生指摘のウェーバーの中国における「国家機構の変革の可能性」を論じた意味が、やや理解出来たように感じた。そして世襲によって安泰な万世一系の日本の天皇制は国家機構が異質なので、易姓革命の思想を拒否した理由が読めた。
C「共産主義革命」革命と言っても、易姓革命の革命と近代の革命とは意味内容が異なるとか、しかし、私には皇帝を毛沢東に易姓した変種に思えた。儒教は宗教でなく民衆を洗脳する帝王学(支配者イデオロギー)の役割を演じたのではないだろうか。
D「民衆の声」10年の知己のように心を通わせたガイド陳さんに上記の話を持ち掛けた所、民衆の多くは共産主義を信用しないか無視している。中国は平等をモットーとする共産主義国家はおろか、「格差社会」そのものと率直に応えてくれた。矢張り、日本の格差社会の比ではないようだ。そういえば、毛沢東は民衆を「6億の砂の民」と見ており、この内憂外患の大国を統一し長期に安定させるには、これまで以上の絶大な権力で一党独裁を目指すべきと意図したのだろう。一方民衆の歴史は、家産制官僚国家権力支配による苦難の連続史だったので、国家の秩序より「個人を包む家族(夫婦別姓)・宗族の絆」を中心単位にして、相互扶助を強めたのだろう。
E「儒教と経済成長」ウェーバーが、儒教と資本主義は相容れないとした資本主義は、近代的西欧資本主義で賎民資本主義を含む資本主義一般ではない。従って、家産制国家と違った現在の中国の「国家機構」にあっては、本来現実主義思想の儒教は見直され、「市場的社会主義」導入による経済成長にマッチして来たのではないか。日本が保守的な儒教を日本的資本主義形成に逆用したしたたかさは、中国にとっても参考になる筈である。
F「中国人のマナー」の低さへの批判は世界的で、私も確かに接客・交通等のマナーで出くわしたが、これは中国人のDNAの問題では決してないと思う。その原因は残念ながら、未だに中国民衆の生活状況は厳しく、形振り構わず我先に生きるに懸命で、公のルールを守る余裕がないためと想像される。中国は「衣食足りて礼節を知る」にまだ遠いし、日本は「衣食足りても礼節を知らず」の欲望肥大症である。
G「日中の課題」日本は島国で自己中心的で曖昧な国、中国は大国で華夷秩序を自己主張する国、これでは接点が見つかり難く、EU のような共同体創造が覚束ない。ウェーバーが、中国にも「太平天国の乱」のような、『変革』の可能性があったと高く評価している普遍性の裏づけに、安藤先生は「改訂 儒教と道教」を追求されようとしたのではないだろうか。
以上
頤和園 万里の長城
故 宮

天 壇

撮影:森谷美鈴
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