脱魔術化のパラドックス

経済7年次 鈴木茂昭


(安藤ウェーバー学をどう継承するか? についてのメモ)

 晩年のウエーバーの「新しい局面」は、
 @作品としては「中間考察」及び「職業としての」2講演、そして宗教社会学の大改訂作業の中に反映されているはずだ。
 A政治・社会状況として、敗戦・革命(とその挫折)、反動化。旧秩序・旧学問(ウエーバーを含む)への無効宣言→新世界待望論及び性の解放(フロイト)を軸とした自然的(感性的)生の解放(大衆文化状況)。これらの状況に対するウェーバーの対応という面があるはずだ。
 この両面から考える必要がある。
 @、安藤さんは「中間考察」「職業としての」2講演、及びAの状況から「トルストイ問題=ミスティーク」を取り出している。また「プロ倫」の改訂作業の中からは、消された問題として「ゼクテ論文――団体結成」、加筆された問題として「脱魔術化」を取り出している。しかし、後期安藤さんにとって大塚批判が前面に出ていたために、「団体結成」問題が優先された。(安藤さんは「出立」のなかで、従来のウェーバー研究にかけていた重要問題への反省として「封建制」「団体結成」「神秘主義」の3つを上げている。梶山訳「プロ倫」の復活を果たして大塚批判に決着を付けた後、次に取り組んだ「儒教と道教」の改訂問題で、おそらく残された「封建制」と「神秘主義」を扱うつもりだったのだろうが、果たされずに終わった。)
 そのために安藤さんは「脱魔術化」の意味論を全面的に展開するに至らなかったのだろう。しかし安藤さんの構想(改訂問題)の中には、晩年のウェーバーの新局面としての「神秘主義」(トルストイ問題)と「脱魔術化」の問題があったと思う。 

脱魔術化のパラドックス

 「脱魔術化」問題を、安藤さんの「近代化のパラドックス」になぞらえて「脱魔術化のパラドックス」として考えたい。(そもそもウェーバーの分析装置としての「概念」には両義性がつきもので、パラドックスを内包した動的概念として捉える必要がある。)
 ●歴史推進力としての「合理化」概念を宗教社会学において捉え返したものが「脱魔術化」ではないか?
 どのような価値領域においても、内在的に洗練化―合理化への推進力が働く。それが魔術の牙城たる宗教において発現したとき、脱魔術化となる。キリスト教においては、偶像崇拝(非造物神化)との戦いとして繰り返されてきたが、その最も徹底した形で行われたのが聖書主義者(原始キリスト教団に帰れ!)による脱教会化(教会による救いの秘術独占への戦い)としての脱魔術化であった。
この脱魔術化という概念によって改めて諸価値領域を概観すると、洗練化―合理化というそれ自体としては無色に思えた推進力が、深刻な意味喪失という暗い色彩を帯びた「運命」に変わる(中間考察)。
 ●「中間考察」はウェーバーの最終考察?
 宗教社会学の改訂作業の中で書かれた(19年から20年にかけて改訂)中間考察は、脱魔術化による近代資本主義的精神構造の発生史をより広い視覚から捉え直し、その不可避的な悲劇性を理論付けたものではないか? とするなら、ウェーバーの学問的営為の最終総括ともいえるのではないか?
 プロ倫結語の「精神のない専門家、感性のない享楽人」(価値判断)を世界史的な理論にまで敷衍したもの?
 自然の有機的循環からの離脱による意味喪失。宗教(魔術)から分化・独立して自立的に発展した文化諸領域におけるパラドックス。全人→部分人(専門への沈潜)、富の蓄積が生み出す生の貧困→トルストイ問題。
 ●「プロ倫」は「職業エートス論」と言えるのでは?
 身分としての職業(アイデンティティ)→天職(ベルーフ)→専門家へ
 宗教的(教会的)救済→救済の内面化(魔術による救済の廃棄)―個人化。「不安」と「確証」(倫理の日常化―日常における行い)のペアから「確証」の緊張感が弛緩したとき「不安」だけが残る→フロイト―大衆文化状況。
 (確証のパラドックス:バブティストは精霊主義者。個人の心に精霊が降り、それに従う。そこから外的な一切の権威を認めず個人を尊重する態度が生まれるが、精霊か悪魔かを確かめるには日常における不断の証明=確証が必要。そこから精霊抜きの確証が生じる→心なき倫理。つまり脱魔術化はもっとも魔術的な心性のもとに遂行された)
 ●以上をふまえたうえで「職業としての」2講演が行われた。その「職業としての」の意味
 「専門家たれ!」の要請はウェーバー的「確証」問題?
 しかしゲーテ的全人の不可能性→部分人、自立―孤立の不安状況に対しては立ち止まり、ただ「男らしく耐えよ」という英雄倫理を主張するのみ。
 このウェーバーの主張に対しては、当時のAの政治・社会状況の中で多くの反論にさらされる。それを見ることによってウェーバーの立ち位置が分かるのではないか?
 →参考:「職業としての学問」に対する「ゲオルグ・クライス」側からの反論としてカーラー「学問の職分」と、それに理解を示しつつ反論するトレルチ「学問における革命」を取り上げて論評した姜尚中「マックス・ウェーバーと近代」がある。有力な反論は、「価値自由の学問」もひとつの「価値論的命題」ではないかとして、アカデミーの専門家主義に反対して全体知の可能性、ポランニーの「暗黙知」、フッサールの「生活世界の現象学」、ベルクソン、ジンメル、ディルタイをよりどころとし、「生の有機的統一の上に成立する新しい<知>の理念」を説くものがある。
 
 ウェーバーの「新しい局面」をA政治・社会状況の中に置いて検討し直すことで「脱魔術化のパラドックス」が見えてくるのではないだろうか?
 ●前史として、母親の影響。イプセンの女性解放運動の流れでのマリアンネの活動。ウェーバーが最晩年に寄宿していた家は、当時のドイツ3代女流作家の一人であるヘレーネ・ベーラウの家で、彼女はイプセンの流れをくむ女性解放運動の指導者でもあり、マリアンネの友人。
 ●新フロイト派の性の解放にはマリアンネは大反対で、始めはウェーバーも反対だったが、愛弟子のエルゼ・リヒトホーフェンと1910年のイタリア旅行で肉体関係をもち、よく11年から14年まで別の女性と熱愛し、その後も多少静まった関係は晩年まで続いたというから、それなりの理解は示したと思われる。また、精神科医のヤスパースとの交流。
 ●もう一つの流れは、5年のロシア革命とトルストイ(愛の共産主義、ロシア・ミスティーク)への共感。ルカーチやブロッホとの交流。ゲオルグ・クライスとの間接的交流など。中間考察の元になったと言われる1917年のラウエンシュタイン城での集会の組織者の一人は後のミュンヘン革命でのレーテ指導者トラーであった。
 1919年の「学問」講演はベルリンのレーテ圧殺の「血の週間」(1月10―17日)およびミュンヘンでのローザ・ルクセンブルクとリープクネヒトの虐殺(15日)と同日にヒットラーのドイツ労働党の結成、「政治」講演の2月にはミュンヘン革命政権のアイスナー射殺(アルコ・バリ)事件。
 ●ウェーバーは個人の究極の価値(デーモン)に従えと言うが、脱魔術化はこのデーモンを解体するものではないだろうか。
 ●脱魔術化を運命として受け入れつつも、デーモン(魔術)としてのミスティークに関心を寄せたのではないか。

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