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2014年
2014年度 桜祭の集い
まとめ/石川国男-政経13
日時及び場所:4/6(日) 11:30〜16:00 大学2号館412室
参加者:(敬称略)10名
松平-政経3安藤、廣瀬-同4、石川-同13、本瀬-経5安藤、鈴木-同7、宗方-同10
奥野-政経13入江、石坂-政経1巽、高根-経1巽、加藤-経6巽 )
記
花冷えの満開のなか、隣室の巽ゼミの方々との交流をも交えて恩師のこと、学園の今昔、組織と人間などを巡って談論風発英気を養うことができました。
2012年
2012年度 桜祭の集い
まとめ/石川国男-政経13
日時及び場所:4/1(日)12:00〜16:00 大学2号館412室
参加者:(敬称略)会員及び特別会員10名 、飛び入り 4名 計14名
後藤-政経1、松平-同3、森谷-同、廣瀬-同4、吉田-同5、斉藤-同6、石川-同13、桑田-経8、宗方-同10、奥野-政経13・特(入江)
飛び入り 石坂-政経1(巽)ほか御二方-経8(巽)、川野-政経13(入江)
記
花冷えの学園100周年という賑わいのなか、2011/3/11東日本大震災=地震、津波、フクシマ原発事故の2年目=を噛み締める語らいに終始しました。
視野狭窄に陥ることのなきよう、人類史の叡智に学びつつ良心に従って脱原発の持続可能社会を拓くよう強く生き抜こう!
T、新聞論調をめぐって
Tー1、後藤
:2012/3/23朝日“声”「君が代」歌わないと処分か(松戸市/76)
=、、、先の大戦中、式典では必ず歌わされ反したら「非国民」とみなされかねない状況だった。橋下大阪市長には政治刷新の期待があれどファシズムの気配も感じる、、、
今の政治には不満でも民主主義を守りたい→良心の上に権力への顧慮を置かなければならないところにデモクラシーはない。
1−2、石川
:同3/10、日経 池内了1944生・宇宙物理学者に“科学者と社会”について聞く”
=専門家が陥る「野蛮性」負の側面正直に語れー科学者は市民の顔を見て語ってこなかった/専門家だから偉いと勘違いしている/社会的責任を考える若手科学者を増やしたい。
:同3/25東京、内山節1950生・哲学者=時代を読む「科学だけに依存」を問う
=ベルグソンに自然科学は暴力に過ぎないの言がある。それは科学は科学の方法でとらえられた真理をつかんでいるにすぎないという意味である。
→御二方の主張の検証にあたり唐木順三(哲学/文学1904〜80)著『科学者の社会的責任についての覚書』2012/1筑摩新書、j.Sミル『自由論』山岡洋一訳2006/12光文社古典新訳文庫、同『大学教育について』竹内一誠訳2011/7岩波文庫などに学ぶべき点が多々あろう。
U、森谷:雑誌全貌に載った諸氏一覧に想う
竹内洋(1942生、歴史/教育社会学)著『革新幻想の戦後史』2011/10中央公論新社にある進歩的文化人ー学者先生戦前戦後言質集/1957
→先人諸氏の倫理なき器用な手品師ともみられる変節ぶりを他山の石に真摯な自己省察に努めよう!語り継ぎたい「知識人」の一面として。
V、回想・安藤英治先生//先生のロマン・ロラン論は今も光彩を放つ!
1951/7/7成蹊大学新聞第8号に掲載=ロマン・ロランにおけるヒューマニズムー人類の運命はすべての祖国のそれよりも重要である/ロマン・ロラン
=、、、内面的良心を守り通すことがますます容易ならぬ事業になりつつある昨今、とかく外界への自己解消を似て生きる方途となし、したがって既成事実としての体勢に順応しがちな傾向をもつ我々日本人は永い年月に亘る酷烈な闘争を通じて内面的な自己確立を斗いとってきた西欧個人主義(ヒューマニズム)の偉大なエートスにふれることは極めて大切なことではないか、、、
2011年
安藤ゼミ同窓会有志の会(桜祭中止に際して)開催報告
日時:4/3(日)13:00〜16:30
場所:武蔵野市内の茶房
参加:後藤圭三(政経1)、松平新太郎(同3)、森谷仁朗(同)、吉田弘子(同5)桜井晴彦(同8)、
奥野眞敏(同13入江特別会員)、亀谷彰(同13佐々木特別会員)石川国男(政経13)、
宗方秀夫(同経10)9名の方々
《多様なテーブルスピーチを展開》 司会とまとめー石川氏
T、奥野氏“生物多様性をめぐって”
環境カウンセラーの目線より“問題の所在”の地球規模に及ぶ深刻さを具体的明解に!
保全生態学とは、ミツバチと人間社会など、、、なを不可分の位置にあるご自身の論文『環境権実現化の展望‐自然環境保全の法的側面から‐』〈成蹊人文研究平成23/3〉を全員に頂戴しました。
U、宗方氏“関東エリアの川と現代社会の一考察”
川と大地を地誌を踏まえてのサイクリングや散歩で楽しむ身近な体感をもとにした自己省察のすすめ
ー(参考文献)ホームページ/アーバンクボタなど、鈴木理生、中沢新一宇沢弘文の著書など。
V、後藤氏“日本古代史研究/最近の動向”
「邪馬台国近江説」-古代近江の点と線-澤井良介、「葬られた王朝‐古代出雲の謎を解く」後藤聡一などプロアマ共々数多なブームは現代日本に何を投げかけているか!
W、石川氏“安藤先生ともう一人の丸山さん‐丸山邦男1994没と盟友鈴木均1998没をめぐって”
→安藤思想の検証と継承をより多角的に考察する!
先生が鈴木氏に邦さんこと巣鴨商業以来の学友を引合わしたのが機縁で御二人は反骨・正義のジャーナリストに徹した現在史家の眼で数々の注目すべき地平を開く。
戦後史の今を生きる我々はここに貴重な思想水脈を観ることが出来ましょう!
=検証文献/安藤英治著「マックス・ウェーバー研究」のあとがき、雑誌未来391追悼安藤英治より中野敏男・たった一度の出会い、中野敏男著「大塚久雄と丸山眞男・動員/主体/戦争責任」、丸山邦男著「天皇観の戦後史」及び「コラムの世界・フリーライターの戦後史」、鈴木均著「現代ジャーナリズム論・日常生活批判の眼」、2010/12/18日経朝・文化部関優子「大逆事件の闇に迫る」など。
X、桜井氏“新宿落合地区の多彩活発なFMグループの活動について”
地域の草の根からの発信が紡ぎだす希望の絆に注目しエールをおくろう!
2010年
2010年度桜祭の集い
まとめ 4/8 石川國男
日時:4/4(日) 12:00〜16:00
場所:大学2号館412室
参加者:(敬称略) 16名
会員及び特別会員14名
後藤‐政経1、松平‐同3、森谷‐同、廣瀬‐同4、吉田‐同5、斉藤‐同6、
石川‐同13、郷古‐経6、鈴木‐同7
桑田‐同8、宗方‐同10、釜田‐特別会員・政経13/佐藤功、奥野‐同/
入江、亀谷‐同14/佐々木
飛び入り 2名 小原‐政経16/樋口、加藤‐経6/巽
会合のはじめに、今春ご就任の亀嶋庸一学長(特別会員・法3)の来室がありご挨拶をいただき、一同改めて学園の発展に一層のご活躍をと祈念致しました。
“ウェーバーを学んで現代を考える”多様な問題提起に花が咲く!
昨年末よりご就任の3代目の宗方秀夫・安藤ゼミ同窓会長の下、森谷仁朗氏の優れた司会進行により次々と テーマの輪が広がりました。
@後藤圭三氏:邪馬台国近畿説の紹介を通じて国家の起源を巡る天皇陵などの学際的・多角的な日本古代史の研究は、客観的国家像形成への基本をなすアプローチであろう!
A廣瀬行夫氏:大連、旅順を旅して/俳句付寄稿文、旅程表、現代地図を添えて日清・日露・今次大戦の歴史的意味連関を考えてみよう!
廣瀬行夫、吉田弘子両氏による廣瀬中佐などの合唱、独唱ー歴史の実存的記憶として
B石川国男氏:私たちはどのような現代を生きているのだろうかー安藤思想のひとつの検証1952(昭27)、社研“武蔵野評論”誌による破防法アンケートに寄せられた安藤語録
“・・・良心の上に権力えの顧慮を置かなければならぬところに自立的人間が育ちうるだろうか、自立なきところにデモクラシーもありえず総じて人間の解放もない・・・”
このことを、“国家からの自由を考えさせられる事象ー東大ホポロ事件、松本サリン事件、江沢民来日時の早大事件、イラク人質事件など”を通じて検証し自己省察してみよう!→再び戦争への道を危惧することを杞憂と云えようか?
C奥野真敏氏(生涯学習として成蹊文学部・法科大学院で、社会文化論などを研鑽)
環境権の確立などに日本は世界に立ち遅れが目立つと警鐘!相当な外圧がかからないと変革の出来ない国民性を嘆かざるを得ない!
D森谷仁朗氏:資料提供ー死ぬ作法、死ぬ技術
死への自覚を麻痺させる現代社会にただただ埋没するところに生の充実はありえまい!
@〜Dのいずれも安藤ゼミ同窓会に相応しい提起、問題意識であり興味は尽きず、時間切れ・・・宗方会長の“安藤先生を慕う同志の益々の発展を期す”との宣言により終了となりました。
2009年
2009年度桜祭の集い
まとめ 5/22 石川國男
日時 :4月5日(日)午前11時半から午後3時半
場所 :2号館4F415号室
参加者 :(敬称略)
後藤・1、松平、森谷・3、広瀬・4、吉田・5、石川・13、釜田(佐藤功)・13、
亀谷(佐々木)・14、鈴木・経7、桑田・8 〜安藤ゼミ同窓及び特別会員10名
石坂(巽)・1、小原(樋口)・17、高根(巽)・経1、加藤(同)・6〜飛び入り〜4名
共通テーマ
『ウェーバーを学んで現代を考える』各位の「価値関心」の交流
@基調報告:石川 “安藤思想、安藤ウェーバー学の価値意識をめぐって”
美術部、剣道部、社研顧問、成蹊新聞への寄稿及びノートルダム清心女子大講演、日本社会事業大講師などの教育活動より先生の価値関心、問題意識を考えてみる。
新発掘資料〜※美術部機関誌「パッション」への美術エッセイ1960-65:/美術の経済史、革命と美術、美術と宗教・美術における精神性の問題、スペイン美術雑感、初めて絵を見た頃。//『社会事業』(全国社会福祉協議会連合会)36-9、1953 寄稿・『歴史意識―イエスとマルクス』
A個別テーマ;問題提起T:森谷
“職なくして人間の自立も尊厳もなし、弱者自立化への道と職業教育ひいては大学教育と職業“〜安藤思想における職業教育は、我々に何であったか!荒廃する大學教育の現状と改善方向は!
B個別テーマ問題提起U:後藤 “ガルブレイス(1908〜2006)を読んで恐慌を語る”
ガルブレイスは『大暴落1929』の初版を1955年に出し1997年再版本をベースに2008年日本語版が出ている。本書では、出来事を報告することに終始、再発するかどうかは一切触れていない。それにつけも、今日また、かのゴールドマンサックスがやり玉にあがっているとはなんとも皮肉だ。―今日の経済学の無力化はどうしたことか、有効なる広義の経済学の確立がいよいよ待たれるところである。
C個別テーマ問題提起V:論考『日本語の思想』にて私と我(我々)を考えてみる。
以上何れも桜祭りに相応しい大きなテーマで談論風発、瞬く間に時間がたち、隣室の巽ゼミの方々との思わぬ交流もあり更に輪が広がりました。
※同資料は、特別会員/古田島秀輔氏(巽)/11からのご協力によるもので同総会明けての4/8、1987/5/16/YMCA/安藤先生最終ゼミでの写真等と共に学園史料館へ寄贈いたしました。
2008年
2008年度桜祭の集い
出席者(敬称略) 松平・森谷・広瀬・吉田・石川・釜田・亀谷・鈴木 計8名
ゲスト 石川氏令弟・竹内正氏・武井氏
テ−マ
@浄土の系譜とアニミズム 亀谷 彰氏担当
A日本語の思想をめぐって 鈴木茂昭氏担当
B気功について 広瀬行夫氏担当
C旧長銀問題について 石川國男氏担当
D頭の良さと人柄の良さ 森谷仁朗担当
進行次第(森谷)
上記は全て森谷が依頼したテーマだったので、進行役を申し入れました。
@亀谷氏のアニミズム再考に触発され、ウエーバーの「東西文明比較の宗教社会学」を「一神教と多神教」の視座から論じて欲しいと懇望しました。そこで紹介頂いた「一神教の闇」と「蛇と十字架」の中から参考箇所を読み上げました。
同氏は、アニミズムを「循環と自然崇拝」の思想と規定され、数々の資料を駆使して浄土の系譜を中心に造詣の広さ深さを展開されました。体失往生(彼岸)と不体失往生(此岸)双方救済の教えには心が洗われました。
A私が英語を習い始めて大変なショックを受けたのは、第一人称が英語では文中構わず大文字の「I」で表し、日本語では小文字の「私」として遠慮がちに表している点でした。しかも、「主語」が曖昧と聞かされては迷うばかりでした。そして長じても言語学は難しいそうだとの域を脱し切れませんでした。それでも「言語が意志の表現」なら、日本人の特質は「日本語の表現方法」にありはしないか、という疑問は持ち続けていました。その点鈴木氏の「日本語の思想」は、打って付けに思えたので、是非アマ向けに解説願いたくなった訳でした。
ご本人はそれに応えて、出席者各位に自著書を態々配布下さいました。それを元にした解説でしたが「日本語は主語がなく、述語中心に成立しているのが特徴だ」と指摘されたように私は解釈しました。更にこの主語中心の西欧的文法を日本に適用させた通説は、毒されたモノマネであるとの抉り方には、勇気あるユニークさを感じました。「日本語的主体の問題」の近日中?大公開を待ち望んでいます。
Bご本人が「気功師」とは驚きです。しかも、それが「道教思想」の「気」を基本とすると聞いては尚更です。元気の「気」が「目に見えないエネルギーの存在」と言われても、どうすればそれを引き出せるのか、西欧的科学ではまだ説明不可能とも言われています。それだけに、この際体験談を披露願いたいと持ちかけました。
お話によると、「気」は呼吸など身体的訓練によって、エネルギー放出は可能とのこと。そして人間は本来身体の内部にエネルギーを蓄えて消費しているのに、「気」の消費による健康鍛錬法が特別なので「オカルト」めいたものと看做されがちである。部分(病気)だけを診て全体(患者)を診ない西欧的科学(物質)万能主義に対し、身体全体から部分をみる東洋思想の自然崇拝主義を「気」は教えているとの説明と解しました。
C以前からお願いしていた現役時代の生々しいご本人の職業観の披露を、全く時間の余裕がない前日に再度申しいれました。
それでも1999年のご自身のメモを始め、最高裁の判決を前にした関連の諸資料を呈示され、説明も加えられました。この事件はグローバル化イコール金融資本主義化の徹底に直結するだけに、判決後に社会批評問題として引き続き取上げるべきこととした。更に同氏は真の「教養」である人間性の教育が、現在の大学で風化する一方であると警世されました。安藤先生も自分の心を心とする、「よき継承者」に恵まれたと喜ばれていることでしょう。
Dこれは、昨年の集いでの発表の続篇です。
趣意は「若者を見殺しにする国」や「ワーキングプアー」等に象徴されるように、格差社会問題の深刻さが増すばかりです。本来、自由と平等は両立し難いだけに、「弱者としての生き方」を再考したくなりました。安藤先生は強靭な「個的存在」でしたから現実社会への「プロテスト」に邁進出来ました、しかし、一般民衆は弱者だからサポートを得て自立に向かえるし、肝炎法実現のように仲間作りの連帯て力が付けられます。個人主義(主体性)は孤人主義ではないと考えること頻りです。
以上、私(森谷)は別として、承諾して頂いた担当者各位の論述は、耳目を驚かす内容でした。
一年に一度の集いを楽しみにしていた甲斐がありました。
ご感想を寄せて頂けるよう切望しています。
森谷仁朗記
2007年
投稿者:石川國男 投稿日:2007年 5月17日(木)
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2006年
投稿者:石川國男 投稿日:2006年 4月 3日(月)
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2005年
投稿者:鈴木茂昭 投稿日:2005年 4月 4日(月)
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投稿者:森谷仁朗 投稿日:2005年 4月 4日(月)
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2004年
投稿者:森谷仁朗 投稿日:2004年 6月 1日(火)
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櫻祭り同窓会会合のお知らせ |
来たる4月4日(日)12時から同窓生一同にて例年の如く懇親会を行います。 尚、当日、虻川雅一氏(政経15回卒、川口ゼミ、成蹊学園情報処理センターにご勤務)より、安藤先生が残された音楽レコードに関する話題など、先生関係資料について我々にお話しがあるとのこと。楽しいお話しが伺えるものと期待しています。 以上 |
2003年
2003・4・6 櫻祭りでの討議のまとめ
(その一) 中東問題の本質を問う
アメリカの一極支配が成功するかどうかは現在では不明確である。当面の具体的な関心は、国連のあり方にあるだろう。一つの問題点として、日本が常任理事国たりえない国連のあり方について評価がわかれた。いずれにせよ、イスラエルをめぐるアラブ諸国の不満が解消されない現状において、世界平和は期待できぬと思われる。
(そのニ) 文明の衝突の深層にあるものは何か
各「文明」は今後ますます「衝突」することになるだろう。安易な融和期待の横行に抗して、世界の根本的な分裂の様相の把握につとめたハンチントン教授の洞察力には敬意を表する。徒に悲観論を振り回すことは慎まねばならないが,無責任な楽観もまた当を得ないと思われる。世界秩序の再生には、今後全人類的視点による向上努力が望まれる。
(その三)近代資本主義の精神とは何か
卒直に云って、資本主義の精神は、現代においてまだ生きているのかと云うことが問われているのではないのか。現代は単に、リストラの惨状、操作される株価、詐欺まがいの決算、政策配慮優先の企業存続、等々堕落としか言い様がない有様ではないのか。しかし、ウェーバーが苦闘した社会科学のあるべき姿にこそ、我々は道を求めて行かねばならないのだろう。次の櫻祭りには、さらに解明に取り組みたい。ウェーバーを学んで現代を考える原点に我々は立ちたい。 以上
出席者
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更新日2003-3-12
櫻祭りのお知らせ
日 時 : 4月6日(日)正午
集合場所 : 詳細は正面に掲示
討議テーマ ; 後藤会長案
討議テーマを下記のように提案いたします。御批判、御提案をお願いいたします。
(その一) 中東問題の本質を問う
イスラエルまたはイラク、これら、中近東各国をめぐる問題の本質は何か。アメリカは文字通りに一局支配を軍事力によって実現しようとしているのだろうか。ヨーロッパ世界は果して分裂を続けて行くのだろうか。イスラム世界とてかならずしも一つとは言い切れないだろう。果たして、文化、宗教、経済、科学、人種など、その他すべての要素に亘り21世紀世界はどのように展開するのか?アジア世界(とりわけ北東アジア地域)もまた、無縁ではありえない。
(その二) 文明の衝突の深層にあるものは何か
サミュエル・ハンチントン教授は「文明の衝突」を書くことによって多くの批判を受けた。しかし、教授は、近著「引き裂かれる世界」であえて言う。
「私の書いたものへの反応は、ほとんどいつも批判的である。ひとつには、私の作品が時代の考えの主流に反することが多いためだ。しかし、攻撃や批判を恐れて書くことから手を引くことはない。……真理の追究というものは知的論争と同義語なのだ」(232頁)
教授の論は、どこまで我々を納得させるだろうか。そして、「文明の衝突」の副題が、「世界秩序の再生」としてあることに気づかぬ人が多いとされているが、それでもやはり何が故に再生(リメイキング)なのかという問題は残るのでは。
(その三) 近代資本主義の精神とは何か
「近代資本主義の精神(エートス)」が,20世紀初頭においてすでに「精神のない専門家」等のあり方に変質してしまっていることをウェーバーは指摘しており、この問題はすでに価値判断の範囲にあると論じている。(安藤編、『プロ倫』、355〜361頁)」
ウェーバーの論文は勿論それでよいのだろうが、21世紀にある我らは「価値判断」だと突き放されたままでいてよいのだろうか。現代において、人々は資本主義の「堕落」を嘆くだけしかできないのか。世界的不況の現実に当面して、経済学者の無能を叫んでよしとしていてよいのだろうか。
以上
★ 同窓会活性化のため、振るってご出席願います。