「暦について」思ったこと  
投稿者:森谷仁朗  投稿日:2005年 5月 2日(月)
  桑田氏の「暦について」のお話で、蒙が啓かれ多くのことを考えさせられました。
中でも、「元号と西暦の併用と嘗ての皇紀の使用」についてでした。その典型例が年齢で今仮に、私は明治38年生まれですと言われても、即座に100才と言える人は先ずいない筈です。明治・大正・昭和・平成の各年数が、頭になければ計算出来ません。その点、西暦で言ってくれると2005-1905で、すぐ分かり、使用されていない皇紀であれば、西暦に660を各々加えて2665−2565となり、いとも簡単です。
その皇紀を使用しなくなったのは、神武天皇即位の信憑性にあったようですが、否定された紀元節を建国記念日に名を変えてでも残したのは、日本人のアイデンティティ・愛国心保持のためだったのでしょう。しかも、西暦だけでは、日本特有の歴史が守られないので元号(年号)は、何としても続ける事にしたと思われます。
そこで、私なりに調べた所によると、「元号の制定は、主権者の特権であり象徴で、その使用は主権者の権威に従うことを意味する。」そうです。そして今日「一世一元」の制度が残っているのは日本だけとあります。すると、天皇制は、私達が自分の生まれた年に元号を使用する程、生活習慣化し支配と服従の正当性につき、思考停止(エポケー)に近い状態にさせていることなります。この事実は元号を使用する日本人と、西暦を基本とする欧米人との、比較文化問題に発展するのでしょう。自分達の上に「人間」をおくか「神」をおくかの違いとも言えると思います。
桑田さん、伝統社会の何たるかに気が付かせて下さり、有難う御座いました。
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